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蘇我入鹿の邸宅跡で大規模石垣が出土!

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蘇我入鹿の邸宅跡とされる明日香村の甘樫丘東麓遺跡で、7世紀前半の大規模な石垣や建物跡が見つかったというので、発掘場所を見に行ってきました。
場所は、甘樫丘の東の駐車場のすぐ上です。
シ-トが、かけられていましたが、かなり広いです。
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石垣が、大化の改新前後に一気に埋められ、一昨年出土した5棟の建物が埋められた跡に建てられた可能性もあるということで、まだ良くわかっていない飛鳥時代の歴史が少しずつひもとかれていくような気がします。
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11日、正午から午後4時まで行われる現地見学会が楽しみです!

産経新聞に写真付きで詳しくのっています。
現地説明会の案内看板がありました。

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会場の近くでは、椿もきれいに咲いてました。
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産経新聞の記事引用
古代史最大のクーデター「大化の改新」(645年)で中大兄皇子(後の天智天皇)らによって暗殺された蘇我入鹿の邸宅跡とされる奈良県明日香村の甘樫丘東麓遺跡で、7世紀前半の大規模な石垣や建物跡が見つかり1日、奈良文化財研究所が発表した。石垣は大化の改新前後に一気に埋められたことも判明。入鹿邸が、石垣を巡らせた大規模な邸宅だった可能性が高まっている。

 一方、一昨年11月の発掘調査で出土した5棟の建物跡は、今回見つかった石垣を埋めた後に築かれた可能性が浮上。入鹿邸より新しい別の建物との見方も出ているが、地層の年代が定まらず、はっきり断定はできないという。

 同研究所が調査したのは、一昨年11月に7世紀の建物群跡が出土した北側約900平方メートル。石垣は北西から南東方向に長さ約15メートル、高さ約1メートル分が確認された。丘を大規模に造成して直径20~50センチ大の石を7、8段積み上げた精巧な構造で、さらに南側に延びると想定されている。

 石垣の東側では、建物跡(南北8メートル、東西3.8メートル)1棟と塀(長さ4.8メートル)。西側にも倉庫とみられる建物跡(東西5.4メートル、南北9メートル)など2棟があり、石垣の周辺に建物群が築かれていたという。

 石垣や建物群跡は、7世紀半ばに再び大規模な造成によって埋められたことも分かった。造成された整地層からは、建物跡4棟や大型の塀(長さ18メートル分)、段差のある特異な石敷き広場(一辺約4メートル)も見つかった。

 日本書紀には、石垣についての記述はないものの、同研究所は「石垣や建物跡が入鹿邸にかかわる可能性があり、650年代までに埋められたようだ。飛鳥時代の甘樫丘は、何度も造成されてさまざまな施設が築かれていることから、極めて重要な場所だった」としている。

 現地見学会は11日正午から午後4時。最寄りは近鉄・橿原神宮前駅か吉野線の岡寺駅。
(2007/02/01 22:45)



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